私の家には宗教がなかった。
幼稚園はカトリック系だったが、小さすぎて何も覚えていない。高校はプロテスタント系で、礼拝や聖書を読む時間はあった。しかし、それは信仰ではなく、読書や知識として触れていただけだった。
だから私は、特定の宗教を信じることも否定することもなく、ただ「無宗教」のまま生きてきた。
一方で、宗教そのものには興味がある。
キリスト教やイスラム教の歴史や教義を読むのは好きだ。信じるためではなく、人はなぜそう考えるのかを知るためである。
そんな私が、一時期だけ宗教と深く関わることになった。
きっかけは、昼寝だった。
関東で一人暮らしをしていた頃、昼寝をしていると玄関のチャイムが鳴る。
宗教の勧誘だった。
最初は迷惑だと思った。
せっかく寝ていたのに起こされたのだから当然である。
そこで私は考えた。
「どうせ起こされたんだから、最後まで話を聞いてやろう。」
まずは相手の説明を一時間ほど黙って聞く。
途中では口を挟まない。
何を信じ、何を根拠にしているのかを理解するためだ。
そして話が終わったら、
「ここが分からないのですが。」
と、一つずつ質問していく。
教義の前提、論理の流れ、矛盾に思えた点。
一つ解決したら次。
また次。
気が付けば三時間近く議論していたことも珍しくなかった。
もちろん、私は改宗する気など最初からない。
相手を怒鳴ったこともない。
ただ、昼寝を邪魔されたので、代わりに徹底的に話を聞き、疑問を聞いただけである。
今思えば、かなり変わった対応だったと思う。
しかし、不思議なことに、田舎へ引っ越してからは、そのような勧誘に遭うことはほとんどなくなった。
地域性もあるのだろう。
私は今でも宗教を知識として学ぶのは嫌いではない。
だが、「信じてください」と勧められることと、「知識として学ぶこと」は全く別だ。
私にとって宗教は、信仰の対象ではなく、人間を理解するための一つの題材なのである。
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